喫茶とインテリアⅡ NORTH

『喫茶とインテリアⅡ NORTH』、とその続き
第2回 カウンター席の客


くじら汁を食べると正月を感じる。
私が物心ついた時から、
函館の実家では正月に大きい鍋でくじら汁を作るのが習慣になっている。
世間一般でいう雑煮と似ているかもしれない。
にんじん、大根、ごぼう、ねぎ、こんにゃく、ふき、わらび、高野豆腐、ちくわ麩、なると、
そして塩漬けされたくじらの肉が入る。
すべての食材から出汁がでて複雑な味わいとなる。これがまた最高なのだ。
少なくとも三が日は毎日食べる。
ちょっと飽きてくる。
コロナ禍で帰省できなくても冷凍で送られてくる。
いつか食べられなくなる日が来ると思うと寂しい。
だからその前に、もっと飽き飽きするくらいに、深く考えずに、
ただ美味しく食べて新年を毎年祝いたい。
私は寂しがりやだろうか。

北海道の喫茶店についての本を作る前までは
「誰か面白い喫茶店の本を出してくれないかな」とか
「なんであの店が載ってないんだろう」とか好き勝手に思っていたが、
いざ自分でやってみると苦悩の連続だった。
私は喫茶店のカウンター席に座ってお店の人と会話を交わすのも好きで(得意というわけではない)、
とくに拙著で掲載させていただいた札幌の三店舗は
取材をする以前からよくカウンター席に座って世間話をくり返していたから
余裕で書けると思っていた。
俗にいう常連客、とまではいかないが十分に顔見知りだった。
それなのに、いざ取材の話を切り出そうとすると緊張で萎縮してしまう。
最後に取材した札幌市の純喫茶わらびはほぼ毎週行っていたのにもかかわらず、
半年くらいずっと切り出せなかった。
責任の重さに加えて、ただの客じゃなくなってしまうような怖さがあった。
もちろん、結果的にそんな心配は要らなかったんだけれども。
とにかく、SNSなどで一方的に感想を書くのとはまったく違う難しさがあった。
快く取材に協力してくれたお店とは逆に、
スポットを当てられることを拒むお店も少なからずあった。
喫茶店は単なる飲食店を超えて、誰かの息抜きや拠り所、
唯一のコミュニケーションの場であることも少なくない。
だからこそあえてたくさんの人の目に触れる媒体に引っ張り出されることをよしとせず、
普段づかいの場所を守っている店もある。
断られた理由はそれぞれだけど、どれも納得の行く話だった。
自分の店をどのようにとらえているかは、店主と話してみないとわからない。
今でも直接話を聞けてよかったと思っている。
そして、軽い世間話から深い身の上話まで聞けたのは、
ほとんどのお店にカウンター席があったお陰だ。

私は、初めてのお店に入り、カウンター席が常連客らしきお客さんでにぎわっていると、
びびってカウンターに座るのをためらってしまう。
でも、常連客に私は憧れていた。
これからもずっと行きたい、付き合っていきたいお店ならば、
アウェイをホームにするために何度か行く必要がある、と克服を決意する。
私にとってカウンター席は店主と話せる特等席だから、
はじめは緊張するけど勇気をふりしぼって座ってみる。
知らない世界が待っているかもしれない。

私は酒場に行かないので分からないが、
おそらくバーやスナックなどはカウンターから始まる交流が当たり前なのだろう。
酒の場合は酔った勢いで会話が弾めば1杯で終わることはほとんどない。
でも、コーヒーは飲んでも1~2杯ってところだ。
つまりノンアルコールで話し込む客を相手にしていると、回転率も儲けもよくない。
大箱喫茶にはカウンター席のないところも多いし、
いまはカウンター席のない喫茶店も増えている。
客だけでなく店側もSNSで情報発信できる時代になった。
話さずとも、店の人が考えていることがSNSを通じて分かる。

カウンター席は時代遅れなのだろうか。

というより、もしかしたら私の喫茶店の利用方法が時代遅れなのか。

『喫茶とインテリアⅡ NORTH』の表紙を飾った北海道滝川市にある珈琲館ルビアンの高橋さんは、
普段は寡黙だがコーヒーの話をしだすと止まらない。
素晴らしいインテリアに背を向けて、カウンター席でコーヒーの話を4時間くらい話したこともある。
「対面してくれるお客さんには、できるだけ私の思いを伝えたい。
それが仕事だから。たとえ、喧嘩してでも媚びたりはしない。
90センチのカウンター1枚挟んで、私らは利害関係で成り立ってる。
私は友達じゃないからな。そのかわり、誰に対してもスタンスは変わらない」
と、高橋さんは言う。
きっと、客との距離が近くなれば人間関係がややこしくなることもあるだろう。
別の喫茶店では「カウンター席で政治と宗教と教育の話はタブー」と聞いたこともあるくらいだ。

喫茶店に行く目的は人それぞれ。
私にとって、行きつけの喫茶店でカウンター席に座るということは
店の人に会いにいくことに等しい。
開店していればその人は必ずカウンターに立っているはずだ。
大した会話をしなくても、忙しそうにしていても、視界に入っているだけで安心する。
店内BGMよりも調理中の音や食器を洗う音を聞いていたい。
私が一人で喫茶店に行っても寂しくないのは、
信頼している人がカウンターにいてくれるからだ。
仲良くなればカウンターを介してお互いの近況報告をしたり、
ちょっとした噂話を共有したり、
休憩中につまむお菓子をお裾分けしてもらったり。
たまたまカウンター席が埋まっていると、
なぜだか少し寂しい気持ちでボックス席へと向かう。
繁盛しているのはとてもいいこと。
積極的なコミュニケーションが得意でない私はお店の人からの些細な一言でも嬉しくなるが、
仲良くなりたい人に対する私の距離感はおかしいかもしれない。
迷惑だったら言ってくれ、お店の人。

カウンター席から生まれた出会いも少なくない。
店主が仲人のように、私と波長が合いそうな常連客を紹介してくれる。
年齢や職業などの壁を超えたつながりもできた。
もちろん、名も知らず顔だけ認識している程度の薄いつながりが成り立つのも
カウンター席ならではかもしれない。
対面で話すのとインターネットでは、
同じ言葉でも声色や表情のささいな変化を見られる点で伝わり方が全然違う。
極度の人見知りを自覚していた私が、次第に自然体で会話を交わせるようになったのは
喫茶店に通うようになってからだ。
カウンターのまわりには、その店特有のコミュニティが生まれる。
寂しがりやにとってのセーフティネット、まるでシェルターのような役割も果たしてくれる。

たとえインテリアやメニューが完璧でも、私は店内にいる人たちを見てしまう。
きっと、私が寂しがりやだからだろう。
テレビドラマ『はぐれ刑事純情派』の安浦刑事行きつけのバーみたいな、
テレビドラマ『相棒』の右京さん行きつけの小料理屋みたいな空間は、
酒の飲めない私にとってあこがれの存在だった。
私はそれを喫茶店でやっているのである。
いや、そんなに格好よくはないけども。

いま、状況が一変しカウンター席でも静かに過ごさなければいけなくなった。
アイコンタクトやジェスチャーでやりとりをすることもある。
それでも、面と向かってコミュニケーションできるカウンター席という存在は無くならないでほしい。
『喫茶とインテリアⅡ NORTH』は単なる写真集ではなく、
カウンター席で聞き書きした店主の話をたくさん伝えたつもりだ。
私が一番好きな喫茶店のインテリアは、寂しさを紛らわせてくれるカウンター席なのかもしれない。




▶︎第1回 ただの客
▶︎第3回 ふと思い出す

酒井康行
喫茶店の客。


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